技術がおよぼす抑止力
Global Journalの「モラル・マシンと戦争の未来」というブログでは以下のような冒頭の叙述がある。
「飛び立ってから15年後、オービル・ライトは『飛行機があれば戦争はできない』と予言した。グリエルモ・マルコーニは、無線機の登場によって戦争が『ばかげたもの』になると考えていた。これは、戦争が邪悪ではなく低俗になれば終わるというオスカー・ワイルドの考えを反映したものである。私の好きな例では、機関銃を発明したハイラム・マキシムが、この発明によって戦争がより邪悪なものになるかどうかを尋ねられたときに、次のように答えている。
“彼は、『この発明は戦争をより邪悪なものにするか』という質問に対して、『いや、戦争を不可能にするだろう』“と答えた。」(i)
技術の進化により相手が攻撃することを諦めるであろう、と言う抑止力により戦争がなくなると考えたのだ。上述の技術はどれも非常に古い技術である。その後の世界はどうなったのかを知ればお判りだろう。戦争が無くなるどころか戦争によりもっと大量の犠牲者を生んだだけだ。その極め付けは核兵器だ。しかし1945年に核兵器が使用されて以来78年間は核兵器による戦争は起こっていない。これは何を意味しているかと言うと核兵器は抑止力になるということだ。飛行機も通信機器も機関銃もより安全な世界を約束したわけではなかった。全く抑止力にはならないという結果が出たのである。
戦略的に優位であるということを敵国に知らせればそれも抑止力になる。そして現代の戦略では技術力の優位性が戦略の優位性に直結している。
その技術に欠かせないパーツが半導体である。半導体は我々の生活を豊かにまた便利なライフスタイルを生み出した。今後はますます半導体が必要な時代である。筆者の記事「21世紀は何を求める戦争になるのか?」https://www.yamashitaseiji.jp/bill/453/では戦争は食糧〜領土〜エネルギー(石油)〜半導体、と求めるコモディティが時代とともに異なり21世紀は半導体をめぐる戦争になるであろう、という内容を説明した。
上記ブログでは技術については以下のように記している。
「技術とは、単に進化のさらなる進化であり、技術の進化は、さまざまなガジェット、機械、道具、さらなる技術をもたらし、この進化する能力を再び高めていく。最新のテクノロジーはより賢くなり、新たな選択肢を提供する。」(i)
まさにその通りなのだが、行き着くところに大きな落とし穴が待っているのではないかと筆者は危惧する。ガジェット、機械、道具、さらなる技術としているが技術の進化とともにAI(人工知能)が台頭している。一昔前はFS映画の世界であったのだが、いよいよ我々の前に出現し始めた。その先にあるものは「シンギュラリティ(人間と人工知能の臨界点)と呼んでいるが、これはコンピューターが自意識を持つようになる日のことである。『ターミネーター』シリーズのスカイネットのシナリオだ。」(i)
もはやここまで来ると戦争も全く異次元の戦いとなる。敵対するものはもはや人間ではなく人工知能というコンピューターなのである。いや、もはやコンピューターと言っていいのか筆者も不明だ。
そうなると抑止力とは何を意味するのか?冒頭に記した「飛行機があれば戦争はできない」、無線機によって戦争は「ばかげたもの」、機関銃は「戦争を不可能にするだろう。」といった技術がもたらす戦略の優位性も無用になる。ということはシンギュラリティが訪れる時は戦争が無くなることを意味するのだろうか?
いずれにしてもシンギュラリティ時代の戦争についての具体的なシナリオを予測するのは現段階では難しい。それは人類史上例のない変化をもたらすという概念だからだ。しかしいくらかの予測を立てることは可能である。
人工知能と自立兵器の使用により人間の介入なしに戦闘の自動化や意思決定の自立化になる可能性がある。2024年6月30日の筆者投稿記事「技術の融合が及ぼす戦略とパワーバランス」https://www.yamashitaseiji.jp/bill/423/を参照願いたい。
また、戦場の空間がサイバー空間となる可能性だ。インフラや通信システムを破壊し情報操作され実際の戦場での戦闘を左右する。サイバー空間でのアタックはすでに始まっている可能性すらある。
それに対抗するための量子技術と量子暗号が重要な役割を果たすであろう。量子暗号を使用した通信システムにより安全な通信が実現可能である。一方で量子コンピューターを駆使した暗号解読や通信傍受も可能である。イタチごっこは永遠に続く。
しかし、なんと言っても恐ろしいのはシンギュラリティの時代の戦争では新たな生物兵器や化学兵器の登場である。遺伝子工学や合成生物学の進歩による致命的な生物兵器が開発される恐れがある。
このように従来の概念から大きく逸脱した新たな戦争の形態になる可能性があるということだ。
「技術がおよぼす抑止力」という内容で記事を進めてきたが、人間が考えられる領域を超えた時に誰があるいは何がシンギュラリティを管理するのか?その時人類同士の戦争はなくなりシンギュラリティそのものがが抑止力となるのではないだろうか?
冒頭に「技術の進化により相手が攻撃することを諦めるであろう、と言う抑止力」という表現を使ったが、シンギュラリティと言う技術により我々人類が攻撃を諦めるであろう、という抑止力が出来上がるのだろうか?
もしそうであれば技術はやはり抑止力になるのではないか?
それともシンギュラリティ同士が殺戮を繰り返す無意味さに気づいてヒトの意思を超えて攻撃を止める日が来るかもしれない。
了
参考文献
The Global Journal, May 21, 2013
https://www.theglobaljournal.net/group/global-security-and-war/article/1107/index.html