柔道とJUDO
チャイナウィルスで世界中がパンデミックの中、2020東京オリンピックが異例の1年延期&無観客にて開催された。
無観客のなかであてもアスリートたちは見事な競技・競演を行い世界中に感動・感激を与えた。
日本選手の大活躍もあっぱれだった。とりわけ日本柔道はオリンピック史上最多の金メダル9個、合計メダル数では前回リオデジャネイロ大会と同じ最多の12個を獲得する活躍だった。
格闘技の大好きなボクはもちろん柔道もたいへん楽しく観戦する。
柔道は1964年の東京オリンピックからJUDOとして採用され、その後1968年メキシコシティ大会では実施されなかったが1972年ミュンヘン大会から再度採用され、以降は毎回正式種目として採用されている。
女子は1988年ソウル大会から採用され1992年のバルセロナ大会から正式種目としてオリンピック・国際大会と今日まで続いている。
日本の「柔(やわら)の道(みち)」はJUDOとして世界の共通競技となり日本選手を凌ぐ海外の柔道家が育っていることは喜ばしいことだ。また競技の進行も礼で始まり礼で終わり、Hajime, Ippon, Waza-ariも日本語で試合が進む。日本の文化が世界に広まっているのである。
その後JUDOは相手と組まずに足を抱えに行く選手が続出しルール改正が何度もあり得点制になり、「技あり」「有効」「効果」はそれぞれに加点、相手と組まなかったり技を掛けなかったり消極的な組み手をすると「指導」が与えられ4回で失格になった。
しかし、このルールの下での試合は面白くない。
「指導」が4回なくても「指導」の数で勝敗が決まることがある。
時間内で勝負を決めるため、大した技もなく相手の「指導」の数が多いとあとは勝つために逃げる。中途半端な「有効」とか「効果」という加点も不明だ。試合前半でなんとも曖昧な「効果」を取るとその後は「指導」覚悟でとにかく時間稼ぎに入る。
これは「柔道」ではなく、これが「JUDO」なのである。
柔道は技を仕掛けて一本取っての勝負だ。最後まで一本にこだわり戦うのが柔道なのだがJUDOはそうではない。
そのためこれまでの大会で多くの日本選手が悔しいお守りをしたであろうことは、観戦者はわかっている。
「柔道」を「JUDO」としたことで本来は武道であった柔道がスポーツとなってしまったとボクは考える。もはやJUDOは柔(やわら)の道(みち)とはかけ離れた競技となってしまった。
しかし2008年北京大会から最も曖昧な「効果」をルールから外し、2016年リオデジャネイロ大会では「有効」も外し本来の柔道である一本での勝負となった。さらにリオデジャネイロ大会では延長戦は時間無制限となり技あり以上で勝利とした。
このおかげで2016年リオデジャネイロ大会での日本選手団はオリンピック史上最多の12個のメダルを獲得したのだと察する。
そして2020年東京大会では「指導」は4つで反則負けになるところを3つに変更。JUDOは柔道に近づいた。
これによりお互いに逃げることができず最後まで戦い続けるのだ。疲労し戦闘意欲がなくなった場合のみ審判は3回目の「指導」を発動し反則負けを宣言するのは観ていて納得がいく「指導」の出し方である。いわゆるレフリーストップのTKOだ。また、攻撃しているぞ、とアピールするだけの偽装攻撃(掛け逃げ)も厳しく「指導」が与えられる。実にいいことだ。
以前は比較的早い時間に曖昧な「有効」や「効果」を取るとあとは技を掛けたふりの偽装攻撃により時間を潰しそして最後は「指導」覚悟で逃げて勝つ選手がいたものだ。
本戦は4分間という時間が設けられているが本戦中に技ありを取っても勝ちにならず一本をとらないと勝利にならないので偽装攻撃で逃げることはできない。
また、リオデジャネイロ大会では技ありは何回取っても勝利とはならなかったが東京大会からは技あり2本、合わせで一本となり、これならJUDOはもはや柔道である。
1964年から始まったJUDOが世界中に広まり海外の選手もいいJUDO、、いや柔道を戦う選手がたくさんいることに驚く。ルールが本来の柔道となり今回の東京大会では史上最多の金メダル9個、やはり日本選手は以前のJUDOでは力が発揮できなかった事だろう。
それにしても日本選手のJUDOは武道である柔道を貫いていた。最後まで一本を取りに行く。勝負を一本にこだわりそして買っても相手を敬い顔色ひとつ変えずに畳から去る。勝ったからといってガッツポーズは畳の上ではしない。
延長戦で「あれ技ありかよ?」と思う審判の判定も見受けたが一切の不満を見せずに去る。試合後の表彰台では銀メダル、銅メダルでは笑顔はない。
柔道競技がオリンピックの正式種目となり世界のJUDOという競技となってからJUDOはもはや日本の柔道精神がなくなったとボクはずっと思っていたが、2020年東京大会でJUDOは本来の柔道に生まれ変わった!
無観客の中の日本武道館でのニッポン選手の大活躍。観客が入っていれば大声援だったに違いなかっただろう。
いや、待てよ。
そういえば日本武道館は靖国神社のすぐ隣だ。2020年真夏の東京オリンピック。終戦を迎えた昭和20年も真夏だった。きっと英霊たちは応援に駆けつけたのではないだろうか。あの無観客の席は英霊たちのための席だったのだ。そしてニッポン選手たちは英霊たちの大声援が聞こえていたのだろう。
その声援に応え英霊たちの前で大活躍を見せてくれた夏だった。