日本刀と居合
桃栗三年柿八年、気がつけば居合を始めた時に蒔いた柿のタネが実をつけるころになった。8年間稽古をし続けているが果たして自分の居合は一向に実らず、先生からは未だに当初習ったことを指摘され続け、その度に「あっ、そうだった!」と思い出しながらの稽古ばかりしている。
富山へ出張に出かけた時に街を歩いていたら日本刀を販売している店がありそこに飾られた日本刀に見入ってしまい無性に日本刀が欲しくなった。値段を見ると2の右に0が6つ。「よし、お金を作って日本刀を買おう!」と心を踊らされた次の瞬間、「日本刀を持ってどうするのか?」と自問し「床の間に飾って日曜日ごとに刀を抜いて丸い棉でポンポンする。」と自答したとき、「いやこれじゃ持つ意味がないよ!」ともう一人の自分が否定した。
そして、お金はないけど日本刀は使えるようになってから買おう、というのが居合を始めるきっかけだった。
道着を纏、袴を履き稽古場へ入る。稽古が始まる直前は入り口のドアが閉ざされる。すると、もうそこは江戸時代にタイムスリップしている。年齢性別に関係なく稽古中は有段者が絶対偉いのである。稽古を始める号令がかかると整列、着座、そして正面、先生への礼が始まり稽古前の緊張感が道場を走り抜ける。
居合の稽古では掛け声や気合い声は一切なく静寂な稽古なのである。刀を振るときに出る刃音だけが唯一の音である。
刀を抜いて相手を切り、刀を鞘に収めるだけの短い動作なのだがこの短い動作の中に無限にある一つ一つの物理的な動き、だけではなく刀を意識した動きと体捌き、これを習得したときに刀はもはや自分の体の一部になり、右手に刀を握っているのではなく右手の先に刀が生えているところまで行き着かないかぎり居合は終わらないのかも知れない。
それにしても居合に填ってしまった。現在ニューヨークが生活基盤となっているものの居合の大会、合宿、講習会、合同稽古など居合関係のイベントがあるたびに日本へ戻り居合の予定に合わせてフライトする。日本での仕事の予定は居合の合間にスケジューリングする始末。米国内出張時もホテルで稽古するよう刀と道着、袴は持参する。富山で日本刀に見入ってしまって以来ライフスタイルも居合が中心になっている。
今の時代、またこれからも刀を振り回す時代なんて来るわけもないのは判っている。なんの役にもたたない居合かもしれないけれど時代物小説や映画、ドラマをみると「曲者!」というシーンが必ず出てくる。人間の持つ五感だけによる感覚以外の感覚が当時の侍は持っていたわけで、時代とともに不要になったから鈍ったり無くなったりしていると思う。居合は昔持っていた感覚を得ることができる修行の一つかも知れない。
日本には日本刀があったからこそ欧米列強国からの侵略を許さず富国強兵で唯一アジアでは植民地にならなかった国、欧米列強と戦えた国だ。美術品としての日本刀ではなく日本を守るために必要な魂である日本刀を使える日が来るまで
🎶稽古は続く〜〜よ どーこまーでも〜〜〜🎶